憲法は誰のためにあるの?

憲法 誰のもの

憲法は誰のために書かれたものか?と質問されれば、多くの人が「国民」と答えると思いますが完全なる誤解です。

憲法に関する初歩的な認識で間違ってしまうと、憲法論議そのものが間違った方向にいくリスクがありますから「憲法は誰のために書かれたものか?」という点は正確に理解しておきましょう!

憲法違反?

日本国憲法では、国民の三大義務が定められています。みなさんご存知でしょうが、以下の3つです。

  1. 教育の義務
  2. 納税の義務
  3. 勤労の義務

学校の教科書では、さも当然であるかのように習うので、憲法で国民に義務を課すことが当たり前であると錯覚しそうになりますが、実はそうではありません。

その証拠にアメリカ合衆国憲法では、国民に対する義務なんてものは1つも書かれていないからです。なぜ?書かれていないのでしょうか?

その答えはズバリ「憲法は国会権力を縛るために存在するものであり、国民を縛るためではないから」です。

日本の教育ではそのあたりのことを曖昧にしたまま放置するために、憲法の存在意義すら理解しないまま大人になる人が多く、その結果とんでもない主張をする人たちが一定数います。

例えば、「週刊誌はくだらない主張ばかりするから、言論の自由を制限すべきだ!」などと主張する人もいますが、そもそも憲法は国民を縛るものではなく国家を縛るものですから、こういった主張は論ずるに値しません。

もちろん近代国家で暮らす以上、国民にも義務が発生するのは当然のことですが、国民を縛るのは「民法」の役割であり憲法の役割ではありません。

ではどういった場合であれば、言論の自由、表現の自由について争われるのでしょうか?

例えばアメリカで雑誌「ハスラー」を創刊したラリー・フリント氏のような事例を挙げることができます。過激な性描写を指摘され、雑誌の販売を裁判所によって差し止められた時、ラリー・フリントは「戦争の悲惨な描写はOKで、なぜ?性描写がNGなんだ!」と主張しました。

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ラリー・フリント田舎くさい愛国心は捨てろ!(by エドワード・ノートン@ラリー・フリント)

つまり家庭内や、企業の中で「憲法違反」を主張することは前提からして間違っているのです。なぜならば、憲法違反できるのは国家権力だけだからです。

近代憲法の思想

そもそもなぜ?憲法で国家権力を縛るのか?

その答えはズバリ、近代法には「近代国家には軍隊や警察という暴力装置がある。財産を奪うこともできるし、証拠をねつ造して無実の人間を貶めることもできる。だから権力はとにかく縛り付け、抑え込んでおかないと大変なことになる。」という思想が根底にあるからです。憲法は非力な国民が、巨大な国家権力を縛る鎖のようなものなのです。

もちろん、国家権力を縛る鎖は憲法だけではありません。そのことを理解するために、裁判の役割について考えてみましょう。

刑事裁判の役割

時代劇やテレビドラマばかりみていると、刑事裁判の役割を完全に誤解してしまうと思います。

刑事裁判の役割は?と質問されれば、おそらく9割以上の人が「容疑者を裁くため」とか、「真実を追求するため」と回答するでしょう。

しかし実は近代における刑事裁判には「容疑者を裁く役割」もなければ、「真実を追求する」という役割もなのです。

その証拠に刑事裁判で適用される「刑法」や、「刑事訴訟法」も、容疑者のために書かれたものではありません。

結論から言うと、刑法は「裁判官」のために書かれたものであり、刑事訴訟法は「すべての行政権力」(検察含む)を縛るためのものです。

法律・憲法が縛るもの一覧

憲法 法律 縛るもの

以上のことは、刑法の条文を読んでみれば小学生でも理解することができるので安心してください。

例えば、刑法第235条には「他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」という記載があります。

この条文を読めば、容疑者がこの条文を破ることが不可能であることはすぐに理解できるはずです。なぜならば、条文のどこにも「窃盗するな!」という記述がないからです。

では刑法第235条を破ることができるのは誰か?

そう、答えは「裁判官」です。窃盗の罪にもかかわらず、10年以上の懲役や50万円より高額な罰金を下した場合、裁判官は刑法違反ということになります。

同様に、刑事訴訟法は検察官、警察官、法務大臣まで含むすべての行政権力を縛るためのものです。

なぜ?縛るのか?といえば、先ほど紹介した「近代国家は抑え込んでおかないと大変なことになる」という思想があるからですが、もっと具体的にいうならば「国家権力をもったやつは危ないことをしでかすかもしれない。」ということです。

実際問題として、検察が証拠をねつ造した事件は過去にもありますし、意図的でなくても誤認逮捕してしまうリスクをゼロにすることはできません。

検察の証拠ねつ造事件

2004年に障害保健福祉部企画課長だった村木厚子氏が、実体がないのにも関わらず、部下の上村勉被告に指示し、障害者団体を名乗る「凜の会」を郵便割引制度の適用団体と認める偽の証明書を発行するように命じたことが疑われた裁判がありました。

村木厚子氏は164日間も拘束され、判決まで1年3ヵ月の歳月が費やされましたが、結果として無罪判決が下りました。裁判で明らかになったのは、検察によるデッチ上げの連続でした。

参考 村木厚労省元局長を「犯罪者」に仕立て上げた前特捜部長を直撃フライデー

日本の刑事裁判では、実際に告訴された事件のうち、有罪判決が下される率は99%以上にも上ります。

もちろん日本の警察が優秀で、検察官も警察官の捜査を厳しくチェックしており、なおかつ有罪になる確率の高い事件を厳選して起訴しているからこその結果と解釈することもできますが、「本当に裁判官は仕事をしているのか?」という不安になる人もいると思います。

とはいえ、「検察官が証拠をでっち上げてストーリーをつくったとして、裁判官がそれを見破ることができるか?」という問題もあるのは確かです。

さきほど「裁判は真実を追求する場ではない」とお伝えしましたが、刑事裁判という場で裁かれるのは「容疑者」ではなく「検察官」であるのは、裏を返せば「裁判官にできることは、刑事訴訟法に違反した捜査を検察官がしていないかぐらいである」という発想が根底にあるからなのです。

裁判官だってすべてをお見通す超人ではないということは見過ごしてはいけない事実です。法廷にあるのは検察官にとっての真実と、被告にとっての真実であり、裁判官が限られた時間でできることといえば、「検察官は違法な捜査していないよね?証拠をねつ造していないよね?」ということであって、ゼロから真実を追求することではないのです。

裁判官のことを公正中立な存在と捉えている人もいるかもしれませんが、本来裁判官とは被告の味方であり、被告は有罪判決が下されるまで無罪として扱うのが基本なのです。(推定無罪の原則)

権力を妄信する日本人

今回説明した内容に「夢を壊された!」という人も多いと思います。なぜならば、日本では検察はヒーローだと思われているからです。

暴れん坊将軍、遠山の金さんなどの時代劇で描かれるようなイメージを、無意識に現代の検察官に投影している人も多いだろうと思います。

「まぁ、わたしには関係がない話だから」といって片づけるのはカンタンですが、ある日突然、犯罪者にされてしまう人がいるのもまた事実なのです。

死刑に問われるような犯罪であれば「わたしは、冤罪だ~~~」と世間をにぎわせる人も出てくるでしょうが、軽犯罪ぐらいだったらどうでしょうか?

やってもいないことで「お前!やっただろ?」と迫られたらどうしますか?やってもいないことを証明することはできませんから(悪魔の証明)、途方に暮れると思います。

途方に暮れた時に、警察官から「今認めたほうが刑が軽くなるよ?」(日本版司法取引制度)とか、「示談に応じたほうが家族に迷惑かけないよ?」と囁かれたら・・・・・・想像するだけでも恐ろしいですね。

最後に&次回予告

憲法は国家権力を縛るためのもの」という当たり前の事実について確認しました。

しかし日本の国会議員は、国家権力を縛るどころか「国民」を憲法で縛ろうとしてきます。具体例を挙げましょう。

自民党の憲法改正推進本部は、日本国憲法改正草案の全文を公開していますので、その一部を抜粋します。

第24条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。

【引用:自民党 憲法改正推進本部

民主的な手続きによって、国家権力を縛るための憲法が国民を縛るように変更される・・・・ということが実際に起こり得るということは、前回の講義ですでに解説したとおりです。

繰り返しになりますが、「憲法は国家権力を縛るためのもの」という点は見過ごしてはいけません。

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