憲法が必要のない時代

憲法 必要ない

憲法は「国家権力を縛る」ために存在するものですから、国家が権力をもっていない時代には、憲法は必要ありませんでした。

本記事から3回に分けて、憲法が生まれた軌跡についてわかりやすく解説していきたいと思います。

中世の国王には権力がなかった

中世ヨーロッパの国王というと、絶大な権力の持ち主だと想像してしまいがちですが決してそうではありませんでした。

実は中世ヨーロッパの国王(英語:rex、レックス)は近代の国王(英語:king、キング)と比べるとたいした権力をもっていませんでしたし、そもそも中世ヨーロッパには王国(英語:realm、レルム)はあれど国家(英語:state)はなかったのです。

国家の構成要素は「国境」、「国土」、「国民」ですが、中世ヨーロッパの国家にはそれらのいずれもなかったということは注目すべき事実です。

中世の国王はあくまでも封建領主のなかから選ばれた代表者であり、封建領主間の争いを調停する存在でしかありませんでした。

また中世の国王は「契約」や「慣習法」に縛られた弱い存在であり、憲法で縛り付ける必要があるほどの存在ではなかったのです。

中世の国王に権力がなかった理由を要約すればこれだけの話なのですが、興味がある方のためにもう少し詳しく説明しておきます。

国王・領主・農奴

古代のローマ帝国が崩壊したのち、ヨーロッパは封建領主が群雄割拠する時代に突入しました。

自らの土地、武力、農奴をもった大小の封建領主が存在していたわけですが、困ったことに争いになったときに調停役となる存在がいませんでした。

調停役となる存在がいないということは、問題を解決するために頼れる手段が実力行使しかないことを意味しますから、年中戦争ばかりで不安定な情勢が続きます。

しかし不安定な状況が続くことは領主にとっては望ましいものではありません。そこで領地を巡る争いの調停役として、大領主の中からもっとも勢力の強い人を国王として立てることにしたのです。

いわば国王は、学校における生徒会長のような存在であり、経団連の会長のようなものです。経団連の会長が経団連企業を支配する権力がないのと同様に、国王にも封建領主を支配する権力はありませんでした。

無論、領主内の土地・農奴はあくまでも領主の管轄内にあるものであり、国王が影響力を発揮することはできなかったのです。つまりはこういうことです。

国王・領主・農奴_ver1

国王 領主 農奴

では国王と領主を結びつけていたものはなにか?ズバリ答えは「契約」です。

日本人は「国王・領主」の関係を、「主君・家来」の関係のように「家来が主君のために徹底的に尽くす関係」と同一視してしまいがちですが、そうではありません。

国王と領主の関係性は、契約に基づいていたため、領主は国王を守り、国王は領主を守るという双方向の関係性が保たれていたのです。

契約関係に縛られる国王

国王と領主の関係性はあくまでも契約関係であったため、国王が領主に命令できることは「契約で定められたことだけ」でした。

例えば、国王が戦争時に領主に「契約以上にもっと兵を出してくれ!」と要求しようものなら、領主から「国王、それは契約違反です!」と断られても不思議ではなかったのです。

MEMO

領主と国王の関係は、契約関係という一見するとドライなものでしたが、逆に日本の戦国武将のように「主君を裏切って敵に寝返る」ということもありませんでした。

また国王と領主が契約によって結びついたために、日本社会では想定できない事態を招きました。なんと「一人の領主が複数の国王に従うことがあった」のです。

つまりはこういうことです。

国王・領主・農奴_ver2

国王 領主 農奴

さらに国王同士が、契約を結ぶこともありましたから、中世の力関係はかなり複雑でした。つまりはこういうことです。

国王・領主・農奴_ver3

国王 領主 農奴 ver03

この記事の冒頭で、中世ヨーロッパには「国境」、「国土」、「国民」もいなかったと申し上げた意味が理解できたのではないでしょうか?

以上、国王が契約によって縛られていることを説明しましたが、国王が縛られていたものは契約だけではありませんでした。国王は法律によっても縛られていたのです。

伝統主義

中世のヨーロッパをしていたものは、伝統主義といっても過言ではないでしょう。

伝統主義とは、文字通り伝統を大事にする考え方ですが、日本人が想像するものとはちょっと異なります。

日本人も伝統を大事にしますが、現代の日本人であれば「悪い伝統は廃止したほうがいい」と考える人が多数派でしょう。

その一方で中世ヨーロッパで中心的な考え方だった伝統主義とは、「いい伝統も悪い伝統もすべて残すべき。新しい発想は不要。」という発想をします。

MEMO

東京大学教授をつとめた大塚久雄先生によれば、伝統主義とは「過去にあったことを、ただそれが過去にあったという理由で、それを将来に向かって自分たちの行動の基準にすること。」です。

つまり中世のヨーロッパにおいては、国王が新しい法律をつくろうと行動を起こすこと自体が、領主からしてみれば「由々しき事」であるのです。

最後に&次回予告

中世ヨーロッパの国王は「契約」と「伝統主義」に縛られた存在だったため、憲法というもので権力を縛る必要などありませんでした。

しかし十字軍の進軍、貨幣経済の浸透などによって少しずつ領主は没落し、その一方で国王は相対的に権力を増していくのです。

次回は国王が権力をつけていく歴史的背景について、順を追ってわかりやすく解説したいと思います!

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